第8章 菅野敦志「湾生・女性・スポーツ―溝口百合子と1954年マニラアジア大会」211-238頁
1951年にインド・ニューデリーで開催された第1回アジア競技大会に続き、1954年にフィリピン・マニラで第2回大会が行われた。アジア大会は戦前と戦後の連続性と断絶性を考察する上で重要な位置を占め、日本のアジア復帰の象徴でもあった。そのなかで、旧「外地」出身の日本人選手の存在は、戦前と戦後をつなぐ象徴的な存在であった。とりわけ、日比賠償交渉が難航する中で開催された1954年のマニラ大会は、日本のアジア復帰にとって象徴的な意義を持っていたが、本稿では同大会に出場した“外地”生まれの選手のなかでも、台湾引揚者であった溝口百合子をとりあげ、戦後日本における戦争の記憶にも着目しつつ、新たな視座からの歴史像を提示した。