大正期の一般女性が書き手とされる口語文体による恋愛書簡文において、茗荷(2024)では様々な修辞・技巧が駆使されていることを指摘し、旧来の候文体では困難であった心情の微妙なニュアンスまでをも仔細に伝えられるようになったこと、女性が書き、「情を伝える」ということの可能性の拡がりが見てとれたと結論した。本稿では上のような表現特徴が生じた経緯を辿る手がかりとして、前時代における、候文体での恋愛書簡文を取りあげ、その資料および文体や表現、修辞・技巧を観察し、大正期口語文体によるそれらとの関連性や接続、相違点などについて検討した。
明治20年代の資料では依然として艶書の伝統に依拠する修辞が多く見られたが、一方で直接的な感情表現や写実的な叙述も見られた。明治40年代の文例では、書簡文の受け取り手や書き手に「女教師」や「女学生」といった近代的な書き手が想定され、実生活に基づいた日常的な生活用語や表現が取り入れられ、率直な言い回しや感情表現が増加した。ただし同時に、艶書的な修辞の影響も残存しており、旧来の常套句と新しい表現が交錯する重層的な様相を示していたといえる。これらの変化は、大正期において候文体に代わる口語文体を準備し、恋愛書簡文における表現の近代化を方向づけるものであった。