著書

基本情報

氏名 橋川 俊樹
氏名(カナ) ハシカワ トシキ
氏名(英語) Hashikawa Toshiki
所属 大学 国際
職名 教授
researchmap研究者コード
researchmap機関

発行年月

199210

著書名

日本文化探訪

単著・共著の別

共著

発行所

八千代出版

概要

日本文化について、様々な分野の専門家がユニークな方法でアプローチした論集。  A5判 全266頁。 共著者 日山紀彦(編者)、秋山秀一、今仲昌宏。                                                                                                                                                               本人担当部分:「明治のニッポン像 ――ベルツ、バード、チロルの見た日本――」 (107頁~152頁)  論文。                                                                                                                    明治時代、1880(明治13)年頃から1900(明治33)年ころ、遠い異国の「未踏の地」を求めて多くの外国人・西洋人がニッポンにやってきた。「極東」の島国に、彼らは何を求めて、何をしにやってきたのか? それを三人の西洋人、医学者エルウィン・ベルツ、女性旅行者イザベラ・バード、新聞特派員バレンタイン・チロルを例にして考察した。ベルツは、いわゆる「お雇い外人」として日本にやってきて、三人の中で最も長く、深く、ニッポンに関わりを持った。単に医学の伝授を心がけたわけではなく、明治ニッポンの行く末を深い同情と心配の念をもってみつめつづけた稀有な外国人である。 『ベルツの日記』はそれを生々しく伝えている。バードは、「未開の地」に限りない憧れを持つ、女性旅行家である。外国人旅行者には障害や不便がつきまとう、明治11(1878)年という時点で来日し、主に北関東・東北、そして北海道を旅行した。未開の奥地への興味と、アイヌなど文明化されていない人々や土地への執着の強さと、偏見を排した日本人への態度がすばらしい。『日本奥地紀行』は、当時の〈田舎〉の状況を伝える貴重な記録にもなっている。最後のバレンタイン・チロルは、ロンドンタイムス社の特派員である。彼が日本に興味を示したのは、その急速な国力の増強と、文明化への強い意志にある。アジアの中でも日本は独自であることを確信したチロルは、日本が国際的な力を得ることに助力したイギリス人である。ラフカディオ・ハーンのように古きニッポンを愛した異国人がいる一方で、チロルのような愛し方もあるのである。この三人のあり方を検討することで、明治のニッポン像を明らかにしようとした。