ロンギのピエロ・デッラ・フランチェスカ研究の主要なものは1914年の論文と1927年の単行書の2点である。1914年には幾何学や数学につながる抽象的な語を用いて作品を記述しており、そこには当時ロンギが批評家として支援していた未来派の影響が感じられる。一方27年の著作ではピエロをもっぱらプリミティヴな傾向と結びつけている。その違いは27年当時、ファシズム体制下の地方礼賛の思潮があったことに由来する。1990年代以降、ピエロ研究は飛躍的に発展し、多くの資料が発見された。これにともない、《ミゼリコルディア祭壇画》は1460年頃、《キリストの鞭打ち》は1458-59年頃という新たな位置づけを得た。