大正時代に活躍した洋画家岸田劉生は関東大震災で罹災したことをきっかけに京都に移住する。京都での劉生は浮世絵を中心とする古美術収集と遊蕩に明け暮れたとされ、評価が低い。しかしこの時期は彼が旺盛は執筆活動を展開した時期でもあり、それらを読むと彼の浮世絵への関心が、対象が内面に喚起する感覚にあるということが明かである。このような関心の持ち方は、劉生がゴッホ等後期印象派の影響下に画家としてのキャリアをスタートさせたことと無関係でない。後期印象派は対象の客観的把握よりも主観的な感覚の表現を優先させたからである。表面的にはそれまでの西欧古典絵画風の様式と浮世絵への関心は結びつかないが、内面においては連続するものであったと考えられる。