(学会報)保育者の語りをとおしてみえ始めること
日本保育学会会報第138号
保育の第三者として保育観察をしていても、保育が理解できたという実感はなかなかもてない」筆者の問題意識から出発し、観察場面について保育者の語ることを聴くと、何がどのようにみえ始めるかを考察した。保育の主体は保育者であることを前提とすると、保育者その人の見方・感じ方・ねがうこと等を知らずに、可視的な現象を第三者が一人で解釈することには妥当性の見地から限界があることを述べている。