講演「能勢克男の映画内村鑑三と背教者の映画」
目黒行人坂教会
平成26年3月9日能勢克男らが1910年代後半に東京でおこなっていた活動は、能勢の近い親類、留岡幸助に一つの根があった。留岡がその活動資金援助を得ていたゆえに、足尾銅山批判ができなかったこと、つまり信仰と権力の関係を解くためにも、彼らは内村鑑三に近づいて行ったが、内村が許容しきれなかった有島武郎らと同様に、美への衝動が能勢らをとらえ、進めていく。内村が有島や小山内薫らを愛憎をこめて「背教者」と呼んだ定義が能勢らの存在を解釈するにも有効であることを論じました。