大熊信行の「受容形態論」は前田愛などの文学者によって読者論の先駆として評価されてきたが、実は映画やレコードといった芸術の複製性を非難した長谷川如是閑の論を批判する映画論として生まれてきたことを実証した。大熊の複製論は、テクストや映像の複製性は常に受容者それぞれの異なる心境と環境の中で同時的に享受されていることにポイントがあり、同質の作品が世界と観客の画一化をうながすことはあっても、けっして人間が画一化されきってしまうことがない可能性をしめすものだった。その可能性を大熊が短歌雑誌『まるめら』で実践していたことを論じました。