「戦後初期の台湾における言語政策―1950年代を中心に―」
日本言語政策学会第5回大会(於:国学院大学)
本報告では、方言が「国語」と同じ「中国の言語」であり、「国語の推進を妨げる」のではなく、むしろ「助ける」として、戦後初期台湾では必ずしも一元的な言語教育政策がとられていなかったものの、いつしか一元化へと向かい、エスニックな対立の論点となった転換点の所在について論じた。特に、「台湾語を媒介とした国語教育」の検証から、「大陸反攻」のための動員を意図した1950年代中期に方針転換が確認できる点を明らかにした。