この論文は、3つの部分から成っている。一つは、『吾輩は猫である』が書かれた明治37年頃、漱石をもっとも悩ませていたのは、本格的な〈文学論〉を創造しようという宿願が様々な現実的雑事により進まない状況への苛立ちであることを確認することである。そして、その解消手段の一部であったはずの『猫』がどうして漱石に続編を書き継がせ、ついには学者を捨て作家になるまでに至らせたのかを、苦沙彌の造型と〈猫〉の創造の二つの面から検討する。前者では、自身を矮小化して笑い飛ばし、後者では人間を皮肉に観察するというよりも好奇心にまかせて動きまわる機動性に作者が快感を覚えたためではないかと考えた。漱石も出発点では、活気のあるキャラクターの創造に熱を入れる作家であった。 (1頁~12頁〉