夏目漱石は『三四郎』において、1907年(明治40年)当時の東京帝国大学附属図書館の様子を描いている。この大学図書館は漱石自身が大学生・院生時代(1890-1895)と大学講師時代(1903-1907)に頻繁に通っていた場所である。また、上野に帝国図書館(国会図書館の前身)が落成するまでは、日本で最も規模の大きな図書館でもあった。本論文では、この大学図書館の設立にも関わり、帝国図書館設立の中心人物でもあった田中稲城の事績を軸に日本近代の図書館の歴史を探るとともに、漱石と図書館の関わりを通じて漱石夏目金之助の人物研究・作家研究に新たな光を当てようと企図した。