1895年(明治28年)12月、当時松山中学教師だった夏目金之助は、貴族院書記官長・中根重一の長女・鏡子と見合いをした。翌年の結婚後、漱石は岳父に転職の相談までする仲になる。しかし中根は1898年に書記官長の地位を失ってから不如意が続き、『道草』に描かれるように漱石の留学帰国(1903)以後は経済的窮乏に苦しむようになる。『道草』で重要な役割を演じるこの岳父は、そもそもどういう人物だったのだろうか。調べてみると、幕末から明治初期に成人し、立身出世を成功させたあとで政治的な野心から躓いた明治人の姿が見えてきた。本論文は、その中根重一の人物研究の第一段であり、出生から藩校時代、医学校(東大医学部の前身)時代、東京書籍館(国会図書館の前身)勤務時代を扱っている。