「燔柴」する〈隠天子〉-須磨巻の光源氏の一性格ー
『共立女子大学文芸学部紀要』第50集
須磨を流離した光源氏は、煙を見て、海人が塩焼く煙ではなく、山がつが柴を焼く煙であったことに驚く。物語中には柴を焼く場面は他に見つからないのみならず、須磨巻で「山がつ」は光源氏の喩として用いられていた。また、源氏の「唐」めいた住居を考えあわせると、柴を焼く煙に、中国の「燔柴」の儀式を透かしみることができる。無位無官の光源氏は一方で「燔柴」の主催者たる〈隠天子〉であったことが読み取れる。