天正期絹衣相論の再検討
第35回日本古文書学会大会(於法政大学)
織田信長の天正期におこった絹衣相論は、従来、天皇の宗教支配権を信長が侵犯したものとされてきた。しかし、根本史料を見る限り、むしろ朝廷も寺社も信長の裁定を望み、その支配権力によって事態の解決を求めていた。これは、後の本山末寺制度につながる、寺社勢力という社会集団を本山を中心に秩序付け、信長を初めとする武家政権は本山のみを直接支配し、あとは本山を通じて間接的に宗教を統制下に置くという方式の成立である。