〈近代〉批判という観点から、三島由紀夫「橋づくし」について論じた。三島由紀夫は、もはや「戦後社会」においては、〈近代〉とは別の原理にもとづく〈近代〉批判の不可能性を認識しており、「橋づくし」でも、「近松の詩的世界」に通じる「花柳界」の習俗を描きながら、習俗それ自体を〈近代〉批判の根拠にするのではなく、そこに浸食する〈近代〉の自壊を通じて、〈近代〉のありようを批判する。以上のことを、橋づくしの願掛けを成功させたのは、主人公格の満佐子ではなく、女中のみなであったというアイロニカルな結末に引きつけてテキスト解釈した。