翻訳の文化形成に関わる力は大きい。それはいつの時代にも当てはまることだが、とくに未知の新しい他者である西洋的知見と遭遇した明治初期には、われわれの想像を超えるような大きな役割を担った。物質文明から精神世界にいたるまで、翻訳行為は東西の言語共同体を媒介し、受けとめる側の発想の枠組みを組み替えるだけでなく、自己言及的に自らのシステムを映し出す鏡にもなっていたと思われる。
しかし、翻訳研究では多くの場合、「翻訳は発信者から受信者への〈等価〉な意味の伝達を目指している」という理解を前提にして、発信者の側からその到達度を推し量るように論じられてきたようにみえる。本書では、発信者の意図がいかに正確に伝達されているか否かを検証・分析するのではなく、翻訳を文化交通(コミュニケーション)の一つのメディア(媒介者)であるとする観点に立ち、むしろ意味の変容とズレに着目し、異文化を受け取る側の問題認識に最大限の焦点をあてながら、明治期の翻訳文学のもつ問題性をテクスト受容論的に問い直すことを目指している。