日本のロビンソナードをめぐって(口頭発表)
児童文学会
明治期からの『ロビンソン・クルーソー』の翻訳を辿りながら、それが同時代的な冒険をめぐる想像力といかに関わってきたかを論ずる。それによれば、冒険の物語は植民地主義的な欲望と結びついており、男たちのために権力と暴力を同一化する男の物語を語ってきた。この意味では、冒険ものが男性主義的な想像力の形式であったといえる。こうした『ロビンソン・クルーソー』の日本における受容の歴史を考えると同時に、いつから児童文学として認知されるようになったかも論ずる。