これまでなされてきた二葉亭四迷『浮雲』の発展史的な意味づけのあり方を批判的に検討する。既存の研究では『浮雲』第一編から第三編に向かって物語言説(語り)と物語られる内容が整然と深化しているかのように考えられることが多かった。しかし、この小説を改めて微細に検討すると、あたかも作中人物の内海文三が繰り返す行為のように、物語言説・物語内容も同じように「往きつ戻りつ」していて単純に進化論的に見ることはできない。『浮雲』に近代文学史の展開の起源として特殊な位置を与えるのではなく、同作をあえて同時代のありふれたテクストの一つとして捉え直すことを提唱している。