翻訳と加工――明治期のロビンソナードをめぐって
日本文学』第五五巻一号
「翻訳と加工」という観点から明治期の『ロビンソン・クルーソー』の翻訳を論ずる。周知のように明治期には多数の『ロビンソン・クルーソー』の翻訳がなされた。それらは、どれも過不足なくコードとコンタクトを理解したうえで正確に翻訳されたものとはいえない。しかし、いずれの翻訳も明治の読書空間のなかで、それぞれのメッセージを伝えており、何らかの対話を始める契機となっている。本稿では、翻訳/加工をパフォーマティブな社会的行為と捉え直し、そこでいかなるコミュニケーションがなされているかを考えてみた。