第70号、pp.177-194、日本マス・コミュニケーション学会。明治から大正にかけてのメディア・イベント史の流れと1920年代における社会意識としての「子ども」の交差点に着目。この時期新聞社の企業化という経営的転換が生じ、それまで副次的とされた事業活動が活発化した過程を、大阪毎日、大阪朝日両新聞社の比較において考察した。本山彦一の「新聞商品思想」を基底に事業活動を一貫して推進した『大毎』が、副業であるこども博覧会から奇しくも子ども新聞発行という本業に還流させるもう一つの流れを見出したことを指摘した。また『大朝』が総合雑誌から「コドモアサヒ」という子ども絵雑誌を創出することで、ある種大人と子どものメディアを細分化していく雑誌的な発展を遂げたのに対し、『大毎』系はむしろ子ども博覧会という文化事業から大人のメディアである新聞に、子どもを取り込む方向性を志向したところに特徴がみられることを明らかにした。